1月17日

朝からテレビでは22年前の出来事 阪神淡路大震災に関するニュースなどが各局で放送されていた。
この手の番組を見るのは嫌で数年前までは「いい加減にしてよ」の気分だったが、今では「そんなこともあったな」と家は半壊だったが怪我もなく無事だったのが幸いと思えるようになった。
画像:今朝の朝日に映える三宮
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(今訓練の津波警報がスマホから流れた、訓練だから問題ないがここ海抜200mまで津波は来ないよと安心)

22年前に戻る 「法楽で豆を炒られた時の豆の気分」 誰かがこんな表現をしていました、その頃畳の部屋で布団で寝ていたのだが たしかに転がされる豆の気分、幸いにして倒れた整理たんすは足元の方だった、階下に降りて見ると東西の向いていた茶ダンスやテレビは見る影もない、南向きのピアノは動いていたが倒れていない、西のはきだしの窓はサッシ毎4枚とも庭に転がっている 玄関のドアは外れて欄間に斜めに突き刺さっている 書けばきりがないが 寒いし音は何も聞こえない。

近所に声をかけたが人身事故はなかった、停電、断水、ガスも出ない 幸い我が家には岩谷のプロパンガスコンロが有ったので、我が家の共同炊事で飢えを凌ぐ。

翌々日には娘の通っていた北陸大学からタオルから食べもの水などの救援物資がトラックと乗用車で届き我が家で荷分けして三宮方面に配ってくれた、ガレージ一杯に残された救援物資は近所に配ったが、そのお陰で近隣と仲良くなり今でも自治会活動がうまく機能しているのだと思っている。

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