72年前の8月15日

72年前の今日の事 何故か旧制中学に登校していた 重大放送があるから下校して放送を聴くようにと 午前中学校を後にした しかし直ぐには家に帰らず道草 帰りの電車(田舎でも電車が走っていてそれで通学していた)を悪童数人と途中下車 御目当ては「出水・デスイ」讃岐の国は雨が少なく 灌漑用の池が有名だがそれでは足りず大きな井戸があちこちにあった その大きさ間口は15mプール?位あり中央部の井戸から水が湧き出ている構造なのだ 

そのプールで2時間ばかり泳いで電車に乗ると大人たちが騒いでいた 「たえがたきをたえ しのびがたきをしのび・・」あの放送についてだった 
これで日本が負けた事を知ったのだが 正直「もう勤労奉仕に行かなくても良いのだ」と考えた その反面 鬼畜米英の兵隊が何をするのかの恐怖心も片隅にあった
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そんな終戦の日から数日後には 粋なジャンパーのアメリカ兵が ジープで街を走るようになった 女性は街に出ると危ないとの前宣伝と違いこの街では何も起こらなかった
英語の授業も復活し 数か月前までは予科練に志願して 敵航空母艦に体当たしてお国のために尽くすのが男の本領だとの思いはすでになく アメリカ兵からチューインガムを英語でねだるためにガリ版刷りの英会話本の勉強にいそしむ日々だった

代わって中学の先生たちは困ったと思う 昨日まで神国日本を唯一の柱に教えて居たのが
民主主義を教え「マッヵーサーの命」に従う矛盾 それでも「命あってのもの種」と言った先生の言葉 これが子供心に残っている

画像借用サイトhttp://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2016/05/20_27.html

この記事へのコメント

狸舟
2017年08月15日 12:00
終戦記念 関連の 8/14の 記事2件
感慨深く読ませて頂きました 当方 その年の春に 旧制中学を卒業して
終戦の日は 福島県の山奥に家族全員で疎開していました。
その当時からラジオ制作に興味を持っていたが 短波放送を聞くのは
禁止されていたので AMラジオをレシーバー(今で言うヘッドホーン)
に接続して聞いていたら 終戦の1週間ほど前からアメリカの日本向け
放送の妨害電波が無くなり ポツダム宣言の受諾だとか無条件降伏とか
色々の情報が聞こえる様になっていました。

okmto
2017年08月15日 12:38
中学入学と卒業の差がある方には見えない 元気な狸舟さん コメント有難う
その当時父はアメリカRCAとかゼニスのオールウエーブラジオの短波コイルを取り外す仕事を どこかの機関から依頼されていました その名残りのラジオが1台我が家にあったので 戦後コイルを買って来て復元した思い出があります

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